知床シーカヤックエクスペディション 101 #2
今回も紙芝居式にレポートするので写真が多めです。重くなってごめんなさい。
7月上旬
知床の朝は早いのです。
うすら明るくなってきたけど、テントの中でうだうだしていると一気にパッーと眩しくなっきました。
「朝日だ!」
と思い外に出てみると・・・
時計を見るとまだ4時。
昨晩の火種に薪をくべておこうと思ったら、アシスタントの岸さんがすでに作業をしていました。さすが! ぞろぞろとメンバーが起床してきたところで、レーズンパンとソーセージの朝食。
起きがけのコーヒーがありがたい。
いつもは準備をする立場なのに今回は手を出す隙さえなく着々と仕事が進んでいってしまいます。経験豊富なメンバーと一緒にいるといろいろ勉強になります。 さあ、本日も快晴、ほぼ無風。
頑張って漕いじゃいましょう! 2日目とあって余裕綽々の筋斗雲メンバー。 まるでオイルの中を漕ぎ進んでいるような”べた凪”。
正面には茅ヶ崎の烏帽子岩に似たタケノコ岩。 できるだけ岸沿いを漕ぐのが新谷さんのスタイル。これが100回の知床経験の中で培われたノウハウなのでしょう。 スカしたカモメたち 少し漕いだところで、ペキンノ鼻という岬に上陸。 岬の急登を尾根まで上がると両側が切れ落ちています。
以前新谷さんは大時化でこの岬を漕いでは越えられないと判断して、この丘をカヤックを引っ張りあげて越えたことがあるそうです。 岬の丘は広い草原になっているのですが、エゾノリュウキンカが敷きつめられたように生えています。5月頃にくるとエゾノリュウキンカの黄色い花でこの丘が真黄色になるそうです。
写真:エゾノリュウキンカ 鳥居
遠征の成功を祈願しておきました。
新谷さんたちがこの朽ち果てそうな鳥居をときどき立て直しているそうです。この周りに生えているフキのような大きな葉の植物がエゾノリュウキンカです。
このペキンノ鼻は、1943年12月に日本軍の徴用船が難破した遭難事故から起きたひかりごけ事件で知られた場所ということです。武田 泰淳によって小説「ひかりごけ」となり、映画化もされているそうです。
慰霊碑が岬の下に立てられているのですが、この鳥居もそのためのものではないかと言われています。
真冬の知床でサヴァイバルをした船長。壮絶な人生です。 丘の上から見下ろす知床の太平洋。北の海は深いインディゴブルー。この海を隔てて国後島があるのです。 岬の突端に立ってみました。 改めて出航。
新谷さんが停泊している漁船と談笑中。このコミュニケーションが知床遠征を成功させる上で大切なのだと思います。
日が高くなり、腹が減ってきた頃に見えてきた男滝と女滝。
ここに上陸してランチタイム! 男滝 女滝
確かに女滝の方が色っぽい。 昼飯はラーメン
新谷さん自らネギを刻む。
「やりますよ!」
と声をかけても
「リハビリだぁ」
と新谷さん。昨年負った指の怪我は60%くらいの回復なのかな。 大鍋で作る塩ラーメン。これがうまいんですよ!
ランチを取り、のんびりしたあともう一漕ぎ。 今回タンデム艇で参加のH夫妻。いつも二人仲良く、マイペースで楽しんでいらっしゃいました。 本日の寝床となる赤岩ビーチ。
ここは背の高い草が生い茂っているので、どこかに潜んでいるかもしれない熊の存在も忘れてはいけないとのこと。
一人での行動は,極力避けるのです。 終日、頭の上から太陽に照らされているので、暑さで少々ふらふらです。
乾杯のビールがこれまたしみる! 知床では全日程キャンプなので、当然風呂には入れないのですが、水場が豊富なので、行水程度は毎日のようにできるのが嬉しいです。
沢水は痛いほどに冷たいのですが・・・。 水漏れの激しいぼくのボートをリペア中。
これは、今回ぼくに課せられた試練です。 新谷スタイルの焚き火
鉄板を敷いて地面にダイレクトにダメージを与えない方法です。このやり方によって世界遺産である知床でもシーカヤッカーは焚き火を許されることとなったそうです。シーカヤッカーにとっての焚き火は生命線でもありますからね。
井型に薪を組んだりせず2本の大きな薪を平行に並べて、その中を釜戸として小さな薪を入れていくと、空気の通り道が一方になるので燃焼効率が良くなるとのこと。これって、北米のネイティブ(インディアン)の人たちがやっていた方法にとても良く似ています。
毎晩ぼくたちを楽しませてくれた「ワインバー」
本日もオープンしました。 この日の夕食は
三食丼
普通に食べてもこれは絶品です。
新谷さんの食事には毎回驚かされます。適当に積んでいたと思っていた食材は、きちんとメニューがあり
「ああ、これはそのためだったんだ」
と感心していました。本当は適当にその場で考えていたのかもしれませんが・・・。
今回の遠征では、知床の海から上がり海へと旅立っていくぼくらは、基本的に海を”表”と考えていたと思います。すると”裏”にあたる山側への関心は少し薄いものだったのかもしれません。
焚き火を囲み食事をし酒を飲み、笑いあっているぼくらは知床にとってはよそ者に過ぎません。 そんなよそ者は知床の住人にとってはどんな風に見えていたのでしょうか。 国後の山から登ってきた月。明後日が本当の満月です。
天気がよいって最高ですね。のんびりと過ごすことのできる夜に感謝しなければですね。 一日中太陽に照らされていたぼくら。今夜はお酒よりも甘い紅茶が美味しく感じました。それはみんなも同じだったようです。大きなやかんに入った紅茶をガブガブと10杯以上飲んだと思います。少し気分が悪かったのですが、これで完全復活!
明日もがんばって漕いじゃいます!
本日の航路:(クリックすると大きい画像がご覧になれます)
つづく
kenichi
7月上旬
知床の朝は早いのです。
うすら明るくなってきたけど、テントの中でうだうだしていると一気にパッーと眩しくなっきました。
「朝日だ!」
と思い外に出てみると・・・
昨晩の火種に薪をくべておこうと思ったら、アシスタントの岸さんがすでに作業をしていました。さすが!
起きがけのコーヒーがありがたい。
いつもは準備をする立場なのに今回は手を出す隙さえなく着々と仕事が進んでいってしまいます。経験豊富なメンバーと一緒にいるといろいろ勉強になります。
頑張って漕いじゃいましょう!
正面には茅ヶ崎の烏帽子岩に似たタケノコ岩。
以前新谷さんは大時化でこの岬を漕いでは越えられないと判断して、この丘をカヤックを引っ張りあげて越えたことがあるそうです。
写真:エゾノリュウキンカ
遠征の成功を祈願しておきました。
新谷さんたちがこの朽ち果てそうな鳥居をときどき立て直しているそうです。この周りに生えているフキのような大きな葉の植物がエゾノリュウキンカです。
このペキンノ鼻は、1943年12月に日本軍の徴用船が難破した遭難事故から起きたひかりごけ事件で知られた場所ということです。武田 泰淳によって小説「ひかりごけ」となり、映画化もされているそうです。
慰霊碑が岬の下に立てられているのですが、この鳥居もそのためのものではないかと言われています。
真冬の知床でサヴァイバルをした船長。壮絶な人生です。
新谷さんが停泊している漁船と談笑中。このコミュニケーションが知床遠征を成功させる上で大切なのだと思います。
ここに上陸してランチタイム!
確かに女滝の方が色っぽい。
新谷さん自らネギを刻む。
「やりますよ!」
と声をかけても
「リハビリだぁ」
と新谷さん。昨年負った指の怪我は60%くらいの回復なのかな。
ランチを取り、のんびりしたあともう一漕ぎ。
ここは背の高い草が生い茂っているので、どこかに潜んでいるかもしれない熊の存在も忘れてはいけないとのこと。
一人での行動は,極力避けるのです。
乾杯のビールがこれまたしみる!
沢水は痛いほどに冷たいのですが・・・。
これは、今回ぼくに課せられた試練です。
鉄板を敷いて地面にダイレクトにダメージを与えない方法です。このやり方によって世界遺産である知床でもシーカヤッカーは焚き火を許されることとなったそうです。シーカヤッカーにとっての焚き火は生命線でもありますからね。
井型に薪を組んだりせず2本の大きな薪を平行に並べて、その中を釜戸として小さな薪を入れていくと、空気の通り道が一方になるので燃焼効率が良くなるとのこと。これって、北米のネイティブ(インディアン)の人たちがやっていた方法にとても良く似ています。
本日もオープンしました。
三食丼
普通に食べてもこれは絶品です。
新谷さんの食事には毎回驚かされます。適当に積んでいたと思っていた食材は、きちんとメニューがあり
「ああ、これはそのためだったんだ」
と感心していました。本当は適当にその場で考えていたのかもしれませんが・・・。
今回の遠征では、知床の海から上がり海へと旅立っていくぼくらは、基本的に海を”表”と考えていたと思います。すると”裏”にあたる山側への関心は少し薄いものだったのかもしれません。
焚き火を囲み食事をし酒を飲み、笑いあっているぼくらは知床にとってはよそ者に過ぎません。
天気がよいって最高ですね。のんびりと過ごすことのできる夜に感謝しなければですね。
明日もがんばって漕いじゃいます!
本日の航路:(クリックすると大きい画像がご覧になれます)
つづく
kenichi
by club_kintoun
| 2009-07-21 18:53
| シーカヤック